翻刻
【右丁】
《割書:叙爵すと慶長四年|又は四位の侍従と不審》二男松平右京大夫家治は天正十六年十二月
徳川殿の御前にて元服し御家号前に御諱字を給ひ上野国
長根の地を賜ふ《割書:此時家治十歳なり 家忠日記に二歳と有|あやまれるにや又所領いかほと云事しらす》此人は
不幸にて文禄元年三月四日十四歳にて卒せらる三男松平
摂津守忠政は文禄四年《割書:一説に|元年》五月十六歳にして中納言殿
《割書:台徳院殿|の御事》の御前にて元服し御諱字給る《割書:忠七郎殿と申す|○按するに家忠》
《割書:日記にのする所かくのことくなれと弟の忠明 文禄元年に|元 勝(服:朱書き)【左に朱点】すと有て兄の忠政文禄四年に元服すとのせし事心得難し》慶長二年
菅沼小大膳定利か嗣となり上野国吉井の地を領せらる《割書:二万|石是》
《割書:よりして菅沼|忠七郎殿と申ス》同五年の秋石田等か兵起りし時中納言殿の
御供にて山道をのほり信濃の上田の城を攻て忠政たゝ
【左丁】
一手にてからめてを攻破る双なき高名とそ聞えける同き
七年に御家号を給ひ飛騨守に任し同十四年 摂津守に
なり十五年七月廿六日将軍家の仰として親父信昌の加納の
城のほとりにて所領の地加らる 《割書:当国にて四万石を給ふといふ|本領共に六万石を領せしなり》
十九年十月二日忠政三十五歳にて卒せらる四男は下総守
忠明なり忠明文禄元年十二月 《割書:一説に|四年》十歳にて中納言殿の
御前にて元服し御家号幷に御諱字を給ひ又上野国
小幡の城賜ひ慶長五年四月叙爵し七年三河近江の国々
にて所領給ひ累代相伝の地なりとて三河の作手に居住
せらる十五年七月廿六日伊勢国亀山の城を給てうつる