伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 14

ページ: 14

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【右丁】 甲斐の国にて所領一ヶ所まいらせんといはせたり長時 聞てわれらか先祖兄弟より わかる武田は兄なれと 甲斐に住し小笠原は弟なれと都にあり是足利殿に 近侍せしによつてつねに武田か下にたゝす今長時か 時に至てかの家の被官たらん事思ひもよらぬ事也 とて越後をさしておち行《割書:武田太郎信義はかゝ美三郎遠光|か兄なり 両家其子孫たれは》 《割書:かくはいひ|しなり》奥の蘆名にむかへられて《割書:修理大夫平|盛氏か事也》我身は会津 に下りすみ三男右近太夫貞慶をは織田殿に参らせたり 天正十年の春木曽左馬之助義政武田にそむきて織田殿 に随かふ三位中将信忠卿 信濃国を経て甲斐の国に 【左丁】 せめ入てつゐに武田を打ほろほし木曽か功莫大なり 其賞これかろからす本領なれは木曽郡はいふに及はす 同国深志の地をそへて下したぶいく程なくてことし 六月織田殿父子またうたれたまひ甲斐信濃等の国々 乱る右近太夫貞慶いそきはせ下りて本国をうちしたかふ へきよし徳川殿の御下知を承りて《割書:此よし創業記に|見えたり夏目か記》 《割書:には徳川殿の 仰を|蒙りし由は のせす》年頃の郎等溝口美作一人を召具し 信濃国に馳下りまつ塩尻といふ所に忍ひ居て地下人等を 催すに累代の主君なりとてしたかふ者すくなからず 譜代の家の子郎等はせくはゝつて ほとなく多勢に成しかは