翻刻
【右丁】
やかて木曽をうたんとす義政しばらくもたまりかね深志をは
貞慶にさけわたしはう〳〵木曽へそ にげかへる《割書:此事の始終|夏目か記に》
《割書:つまび|らか也》貞慶二歳の時国を出ことしふたゝひ本国にかへり
入悦事かきりなくやかて会津に使たつて 父長時を迎ん
とす長時今しはしかほといきのひすめしつかふ小童のために
きられて死せしこそ無慚なるかくて越後の上杉当国に
攻入りへしと聞えしかは貞慶同国の住人高坂真田等の人々
と同しく越後の国に使者を参らせ景勝にしたかふ景勝
ほとなく其勢四千五百人にて信濃にこゆ又相模の国北条
左京大夫氏直四万八千余騎の軍勢を引率し上野国厩橋の
【左丁】
戦に打かつて《割書:織田の大将滝川左近将監|一益をうちやふりしなり》碓氷の峠を打越て
これも信濃に打入たり貞慶をさきとして高坂真田等
北条の多勢をや頼みけんたちまち上杉をそむきて北条に
したかひ景勝と戦んと 屋代 川中島を経て善光寺に
向て陣を取景勝 筑摩川を打渡りてすゝみ来る北条
かねては高坂源五郎かうら切をたのみてこそこゝまては
うち出たれ此事すてにあらはれ高坂誅せられぬと
聞えけり かけあひの軍に上杉と戦はん事 叶ふ
へからすとや 思けんこゝより 引返して 甲斐の国に
入て徳川殿と戦ふはしめ 徳川殿小笠原か本国を