翻刻
【右丁】
徳川殿の御嫡子故岡崎殿の御娘にそひ奉りたり けれは
関白殿も別の義を以御ゆるしありしによつて徳川殿の御
家人になされ下総古河の城を賜ふ《割書:二万石を領す○按するにことし|徳川殿の御孫女御とし十四才秀政の》
《割書:年二十二歳なりすてに御婚儀事なりしにやまた 御約はかりありし|事にや分明ならす 文禄四年五月十日 貞慶 古河の城に》
《割書:卒す とし|五十才》 兵部少輔秀政関ヶ原の合戦には宇津宮の
城に と(とゝ)まる《割書:秀政は三の丸を|守るといふ》慶長十八年信濃国松本の城に移る
《割書:六万石○松本すなはち深志なりこの時にあらためて|松本といひしと也一説にこの時に八万石と云不審》秀政かさねて先祖
累代の所領を知行す元和元年五月七日摂津国天王寺の
合戦にうち死す 年四十六歳 嫡子 信濃守 忠脩は
大御所の御外曽孫忠脩か妻も御外曽孫にて本多
【左丁】
美濃守忠政か娘なり はしめ 大坂の兵起し時 父秀政は
松本の城にとゝまり忠脩大坂にむかふふたゝひ兵起しに
我身松本の城にとゝまり父秀政むかふへしと仰ありし
かは忠脩大に憤て 御下知を用ひす 馳のほつて
五月七日父か手のまつさきかけ 大勢の中へわつて入
敵の陣をうちやふりかけとをり〳〵散々に戦て つゐに
うたれて死したりけり其子 信濃守長次父に つき
寛永六年の冬叙爵し同九年 豊前国中津の城に
移る《割書:八万|石》同十五年の春肥前の国島原の城をせめ落し
寛文六年五月廿九日卒す嫡子上野介長知【ママ】年来多