伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 19

ページ: 19

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【右丁】 病なりとて父か卒せし年籠居しけれは二男内匠頭 長勝父か家つきて同十二月 廿七日信濃守となる 右近将監源忠真は秀政の二男大御所の御外孫生年 十八歳いまた大学助といひし時父と同しく大坂に向ひ 五月七日の合戦に大勢の敵と戦てあまたおも 手 おひ首 数多きつてならひなき高名をきはむ兄信濃守 か子息猶むつきの中にあれは成人の ほとは忠真彼 家の事知行すへきよしを仰下さるは辞し申けれ共 御ゆるしなし はつかに 一年をへたてゝ 元和三年に 到て固辞すかれかこゝろさしの程を感し給ひ其請に 【左丁】 依て故信濃守か所領をはその息男に賜ひ播磨国明石の 郡に新に城築かれ多の地つけて 忠真にそ 賜たり《割書:十万|石》 寛永九年十一月十一日豊前国小倉の城に移る《割書:十五万石|○按するに》 《割書:此時小笠原の一族豊前豊後の地に|うつさる九国鎮守のためと申せし也》十一年七月十六日に従四位下 に叙す十五年の春島原の城を攻てせめ落し寛文三年 十二月廿九日侍従兼右近将監また九州探題の事をうけ給はる 同き七年十月十八日七十二歳にて卒す嫡子兵部少輔長安は 病あつて籠居し《割書:狂気と|いふ》二男大和守長宣はさきたつて 卒す三男遠江守長真を嗣として家をつかせ四男備中守 長貞に所領の地をわかつ《割書:一万石新|墾田歟》備中守源長貞右近将監