翻刻
【右丁】
忠真か四男父卒して遺領をわかち賜ふ《割書:上に見え|たり》
壱岐守源忠知は秀政か三男左大臣家に眼近し寛永三年
十二月大番の頭となる同九年四月廿四日御奏者の事を
兼ぬ《割書:此ころまて番頭より|御奏者をかねしなり》ことし十月十一日豊後国杵築城
を賜ふ《割書:本領は五千石一時に四万石|給し也御奏者はもとの如し》正保二年正月十一日三河国
吉田の城に移る《割書:四万五千石○小笠原一族皆豊前豊後の間に有|此度忠知を三河にうつされしか殊なる御恩と云々》
寛文三年七月廿九日六十五歳にて卒す嫡子山城守
長棟父につき《割書:四万|石》舎弟等に所領わかつ 《割書:二男丹後守|長定三千石》
《割書:三男外記|二千石を領す》寛文六年六月長棟寺社奉行となつて
御奏者の事を兼ぬ延宝六年 二月八日五十五歳
【左丁】
にして卒す嫡子能登守忠治父につき壱岐守となる
二男佐渡守長重なり