翻刻
【右丁】
したまふ同十四日掃部助信嶺信忠の御陣に参りすな
はち当国の案内者たるへしとて先陣をうけたまはつて
高遠の城をせめ落す三月十八日信長高遠の城に入
たまへは同廿日 信嶺見参して本領安堵の事を仰蒙る
《割書:安土記等に松尾の掃部助|とあるは信嶺かことなり》今年六月信長父子うたれたまひ
甲斐信濃の国々ふたゝひみたれしかは信嶺最初に菅沼
藤蔵定政に《割書:後に土岐|山城守と云》つきて徳川殿の御方に参り
同き七月酒井左衛門尉忠次と共に高島の城をせむ天正の
十六年徳川殿の仰として左衛門尉忠次か三男小平次
を養てよつきとす左衛門佐信之これなり同き十八年
【左丁】
関東に移りたまひて上野国本庄を賜ふ《割書:一万|石》慶長三年
八月十九日信嶺五十二歳にして 卒す左衛門佐信之家を
つきこのゝち美濃国高洲の地を賜てそ移りける
関ヶ原の戦には中納言殿の御供して山道をのほる
同き十二年伏見の城を守る大坂の軍には将軍家の
先陣うつて戦ふ其子左衛門佐政信政信か子貞信
《割書:貞信より此かたの卒年|いまたつまひらかならす》