翻刻
【右丁】
落ゆくかくてこゝより又駿河の国府に帰らん事を議せらる
国府の館は武田かために既にやかれてしはしもすみ給ふへき
やうなかりしかは森川日向守小倉内蔵助等におほせて国府の
館を修せしかその後岡部次郎右衛門正綱同治部右衛門森川
小倉にかはりて此事をうけたまはる同き年十二月七日
武田入道ふたゝひ駿河国に入て国府をせむ以前のよる
城中に馳集てわつかに侍五十余人には過す正綱ふせき
戦てたやすくおとさるへくもみえす信玄のたまひけるは
正綱故主の恥をすゝかんとてわつかなる勢をもつて
此城にたてこもり我多勢と戦を決す 志のほど
【左丁】
こそ神妙なれされは千兵は得やすく一将はもとめ難しといふ
本又ありいかにもして岡部兄弟をめしつかははやとて鉄山
和尚といふ僧をなかたちにてみかたに参るへきよしいろ〳〵に
宣ふ旨ありけれは此上はとて正綱武田にしたかふ信玄大に悦ひ
今川にて給ひしより十倍の地を知行させ《割書:もとは三百貫今は|三千貫といふ》
侍五十騎つけて侍大将となされ駿河国清水を守らしむ
天正十年の春武田ほろひ同き夏織田殿又うせたまふて
甲斐の国ふたゝひみたる正綱か今川につかへしより
しろしめされし者なれは徳川殿御消息を給て
みかたにめさる甲斐 信濃国ほとなくなひき随ひし