翻刻
【右丁】
事 大略は 正綱か 功とそ聞えたる其賞として甲斐
駿河におゐて 所領の地下し給ふ《割書:七百三十貫|文の地》明れは天正
十一年正綱 四十二歳にして死す子息弥太郎長盛生
年十六才にて 父につき天正十二年二月十日本領を安堵し
同年四月長湫戦に先かけて秀次の勢をうちやふり
みつから首二ツをきり同き六月十九日 徳川殿北畠殿と
おなしく伊勢国下市場の城をそせめらる九鬼右馬允
嘉隆うしろ矢射れとて 兵船にとりのつておしよす
長盛一勢はせ向つて 戦ひ九鬼か甥長兵衛尉をいけ
とり嘉隆散々になつて引かへす同十三年閏八月宗徒の
【左丁】
御家人等と信濃の国上田の城をせむ御方利なくして
引返す長盛大久保平岩の人々とおなしくとつて返して
戦ひ同き九日長盛一勢人ませもせす真田か父子と
戦つて御感にこそあつかりけれ《割書:御書をたまはつて|賞せらるゝと云》十六
年四月従四位下に叙し内膳正に任す関東に移り
たまひし時上総下総等の国にて所領の地を給ふ《割書:一万|石》
関ヶ原の戦には下野国黒羽根に陣とつて上杉か勢と
戦んとす慶長十二年伏見城を守る《割書:これを城番と|いひしなり》同き
十四年八月六日 丹波国亀山の城をたまひ《割書:三万二|千石》大坂前後
の戦にしたかひ元和七年八月同国福知山の城に移り