翻刻
【右丁】
《割書:五万|石》寛永元年美濃国大柿の城にうつる《割書:五万|石》同き九年
十二月二日長盛六十五歳にて卒す嫡男美濃守宣勝父に
つき《割書:これよりさき慶長十四年|十二月廿八日叙爵す》寛永十年播磨国龍野の城に
うつる《割書:本領の|まゝ》同十三年摂津国高槻の城に移り《割書:本領の|まゝ》
同十七年九月和泉国岸和田の城に移る《割書:六万|石》寛文元年
十月廿七日致仕入道して可賢と号し同八年七十二歳
にして卒す その嫡子 内膳正行隆家をゆつられ《割書:五万|二千石》
舎弟等に所領の地わかちあたふ《割書:主税五千石|阿波守二千石》
【左丁】
諏訪
因幡守源頼永【水の誤記ヵ】は六孫王経基の五男右衛門尉満快に
九代信濃国住人諏訪右衛門尉盛重か後胤なり盛重
か十五代の孫信濃守政満か時に到て当国 諏訪の
大祝高家か為にうたれてその所領をうはゝる
政満か子安芸守頼満いまたいとけなかりしに家子
郎等よきにたすけてふたゝひ本領をもつて
按堵す頼満男子二人あり嫡男刑部大輔頼隆二
男新二郎満隣とそ いひける頼隆か男刑部太輔頼重
甲斐の武田大膳入道信玄か為にうたれし後《割書:頼重は|信玄か》