翻刻
【右丁】
信濃国いまたたいらかならす父子すみやかに国に帰て
御催促あらん時にしたかひ軍勢を率し馳参るへしとて
子息頼水に御刀を給て帰さる《割書:保昌五郎の御脇刀○按するに|此時の事 共記せし書に》
《割書:多くは小太郎頼忠と見ゆこのころは|いまた安芸守にはならさりしにや不審》同十二年の春小牧の御陣
の時菅沼小大膳定利保科越前守正直と同しく同国
木曽郡妻籠の城を攻十三年閏八月二日御方の人々真田か
城を攻て利なくして引返す同き十九日頼忠真田と軍して
つゐにをのか城に帰り十八年小田原を攻られしに大久保
七郎右衛門忠世にしたかひ先陣をうつて攻下る此とし
関東に移玉ひしかは武蔵国蛭川の地を賜ひ《割書:一万六|千石》
【左丁】
文禄元年上野国総社に移る同二年小太郎頼水父か
家をつき関原の合戦の時山道の御供してうつて
のほり明れは慶長六年本領諏訪の郡を給ふ《割書:二万|三千》
《割書:石をたまひ又真田か城の器財|こと〳〵くに賜ひしなり》此年叙爵して因幡守に
任す大坂前後の軍にしたかひ首四ッきつて献る
元和四年同国筑摩郡の地加へ給ふ《割書:五千石○そのゝち|又開発の田を合》
《割書:せて三万二|千石といふ》寛永十八年五月十四日七十二歳にて卒す
嫡子出雲守忠澄はしめ慶長十年十二月大相国家
の御前にて元服し御諱字を賜る元和三年叙爵
して出雲守に任し父か家をつきて 明暦三年