翻刻
【右丁】
《割書:かくのことし世に|直村といふは非か》十七歳にして信濃国川中島の軍に随ふ
御方散々に乱れしに昌次一人晴信入道の側をはなれず
入道大に感して土屋は武田譜第の家人今はその家
絶たり昌次して名字つかせんとて金丸をあらためて
土屋と名のらせ二十二歳にして侍大将になされ廿八歳
にして右衛門尉になさる三方か原の合戦に徳川殿の御内
に名を得たる鳥居四郎左衛門尉か首をとる土屋か家の旗幟
に鳥居を紋とすることは此時よりそはしまりける天正
三年五月武田四郎勝頼宗徒の家子郎等諫る旨を
もちゐす長篠の軍せんとす当家のほろひんとき至れり
【左丁】
昌次か死すへき時今日に極りぬと思ひさため手勢百騎を
引具し信長の陣にむかひ我身も馬より飛てをりまつ
さきにすゝみ柵の木とつてひきやふり〳〵きつて入らんと
せし処にたちまち鉄炮にあたつて死す《割書:三十|七歳》此日武田か
軍勢散々に戦なつて討るゝ者数をしらす虎義か五男
昌次か舎弟総蔵昌恒《割書:時に|廿四歳》たゝ一騎主君の供してとつて
返して追くるかたきを追はらつておちゆく初鹿野伝右衛門尉
馳くはゝり主従はつか三騎にて本国にそ入にける勝頼かれら
兄弟かふるまいを感して昌恒をも又土屋と名のらせ
侍大将にこそなされたれ《割書:甲陽軍鑑をも按するに総蔵昌恒兄|右衛門尉昌次か家を継しにはあらす》