伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 30

ページ: 30

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【右丁】 《割書:かくのことし世に|直村といふは非か》十七歳にして信濃国川中島の軍に随ふ 御方散々に乱れしに昌次一人晴信入道の側をはなれず 入道大に感して土屋は武田譜第の家人今はその家 絶たり昌次して名字つかせんとて金丸をあらためて 土屋と名のらせ二十二歳にして侍大将になされ廿八歳 にして右衛門尉になさる三方か原の合戦に徳川殿の御内 に名を得たる鳥居四郎左衛門尉か首をとる土屋か家の旗幟 に鳥居を紋とすることは此時よりそはしまりける天正 三年五月武田四郎勝頼宗徒の家子郎等諫る旨を もちゐす長篠の軍せんとす当家のほろひんとき至れり 【左丁】 昌次か死すへき時今日に極りぬと思ひさため手勢百騎を 引具し信長の陣にむかひ我身も馬より飛てをりまつ さきにすゝみ柵の木とつてひきやふり〳〵きつて入らんと せし処にたちまち鉄炮にあたつて死す《割書:三十|七歳》此日武田か 軍勢散々に戦なつて討るゝ者数をしらす虎義か五男 昌次か舎弟総蔵昌恒《割書:時に|廿四歳》たゝ一騎主君の供してとつて 返して追くるかたきを追はらつておちゆく初鹿野伝右衛門尉 馳くはゝり主従はつか三騎にて本国にそ入にける勝頼かれら 兄弟かふるまいを感して昌恒をも又土屋と名のらせ 侍大将にこそなされたれ《割書:甲陽軍鑑をも按するに総蔵昌恒兄|右衛門尉昌次か家を継しにはあらす》