伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 32

ページ: 32

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【右丁】 おなしくつゝきたり昌恒矢種射つくしてうち物の 鞘をはつしきつて出んとする所をかたき六人か槍に つらぬかれたちまち地にたふる四郎不便にや見給ひ けん左の手にて槍一々にかなくりすて六人を三人切て 我身又かたき三人の槍につらぬかれ父子おなしく討れ たまひけり《割書:昌恒時に|廿七才也》あはれ故大膳入道は士を養ひ 武を構せし事二十余年人を殺し地を霹きし 事五六州なれはみつから天下定むるにあらすとおも はれしに身死し首いまた冷かならさるに国破れ家 滅ふに至てはさしも年比恩にもおこり功をも頼みし 【左丁】 家の子郎等に 強きものは君父にそむきて後矢射弱き たぐひは蔡史妻子たつさへて逃かくれ此日天正十年三月十一日 四郎とともに死したりし侍雑人僧童都合纔に四十 四人中にも一方の大将侍のつかさなといはれしもの日頃の ちきりをたがへぬは総蔵昌恒たゝひとり兄弟三人《割書:舎兄|金丸》 《割書:助六郎昌義舎弟|秋山源蔵景氏【ママ】也》をなしく死せしこそ無慙なる民部 少輔忠直此時わつかとし六歳清水神戸なといふ父か手の 兵ともとかくかくして駿河の国に落行て清見寺の住僧 に参らす天正十七年徳川殿御鷹野つゐて此寺に入らせ たまひし時此児して御条進め奉る徳川殿つく〳〵と