翻刻
【右丁】
おなしくつゝきたり昌恒矢種射つくしてうち物の
鞘をはつしきつて出んとする所をかたき六人か槍に
つらぬかれたちまち地にたふる四郎不便にや見給ひ
けん左の手にて槍一々にかなくりすて六人を三人切て
我身又かたき三人の槍につらぬかれ父子おなしく討れ
たまひけり《割書:昌恒時に|廿七才也》あはれ故大膳入道は士を養ひ
武を構せし事二十余年人を殺し地を霹きし
事五六州なれはみつから天下定むるにあらすとおも
はれしに身死し首いまた冷かならさるに国破れ家
滅ふに至てはさしも年比恩にもおこり功をも頼みし
【左丁】
家の子郎等に 強きものは君父にそむきて後矢射弱き
たぐひは蔡史妻子たつさへて逃かくれ此日天正十年三月十一日
四郎とともに死したりし侍雑人僧童都合纔に四十
四人中にも一方の大将侍のつかさなといはれしもの日頃の
ちきりをたがへぬは総蔵昌恒たゝひとり兄弟三人《割書:舎兄|金丸》
《割書:助六郎昌義舎弟|秋山源蔵景氏【ママ】也》をなしく死せしこそ無慙なる民部
少輔忠直此時わつかとし六歳清水神戸なといふ父か手の
兵ともとかくかくして駿河の国に落行て清見寺の住僧
に参らす天正十七年徳川殿御鷹野つゐて此寺に入らせ
たまひし時此児して御条進め奉る徳川殿つく〳〵と