翻刻
【右丁】
御覧し住持の僧をめして此児の有さまよのつねの子とも
ならすなにものゝ子そと とはせたまふさん候まことに
や候らん是 甲斐の土屋か みなし子なると申して
成人の後僧になし 父のあとを とはせよとゆかりの
者かえさせてこそ候ひつれと申す徳川殿されは
こそさるものゝ子なれ家康に給ひなんと仰らる
僧はかしこまり大に悦ふ事なゝめならす頓て御
輿にのせ帰らせ給ひけりわか君御迎えのためにいて
むかはせたまひて御輿のうちよりとし頃竹千代殿に
ふところ刀まいらせんと思ひしにけふこそもとめ得て
【左丁】
侍れとてみつから かの児の手ひきなから御輿を出
たまひわか君に 参らせられ又茶阿の局をめし《割書:上総介|殿の御》
《割書:母の長【ママ】覚院殿|の御事なり》辰千代丸か弟にとおもひ此子やしなひにせよと
仰られしかは上総介殿と一ツ処にひとゝなつて大相国
家御身ちかくめしつかはる《割書:土屋か嫡流に元日の門の松|よりはしめて春祝ふへき種々》
《割書:公より下したまふも此時|よりの例といふ》御諱字賜ひ平八郎 忠直と
名のつて十九歳の十月相模国禰宜内村にして所領を
賜ひ《割書:はしめ三百俵の禄米給ひ|此時より三千石を領せし》慶長五年の秋関ヶ原の
戦には山道の御供し同き七年上総国久留里の城を
賜ふ《割書:二万石○はしめ忠直か母いまた年若にして夫におくれて|よらんかたなかりけれは昌恒か手のものともとかくはからひて》