伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 33

ページ: 33

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【右丁】 御覧し住持の僧をめして此児の有さまよのつねの子とも ならすなにものゝ子そと とはせたまふさん候まことに や候らん是 甲斐の土屋か みなし子なると申して 成人の後僧になし 父のあとを とはせよとゆかりの 者かえさせてこそ候ひつれと申す徳川殿されは こそさるものゝ子なれ家康に給ひなんと仰らる 僧はかしこまり大に悦ふ事なゝめならす頓て御 輿にのせ帰らせ給ひけりわか君御迎えのためにいて むかはせたまひて御輿のうちよりとし頃竹千代殿に ふところ刀まいらせんと思ひしにけふこそもとめ得て 【左丁】 侍れとてみつから かの児の手ひきなから御輿を出 たまひわか君に 参らせられ又茶阿の局をめし《割書:上総介|殿の御》 《割書:母の長【ママ】覚院殿|の御事なり》辰千代丸か弟にとおもひ此子やしなひにせよと 仰られしかは上総介殿と一ツ処にひとゝなつて大相国 家御身ちかくめしつかはる《割書:土屋か嫡流に元日の門の松|よりはしめて春祝ふへき種々》 《割書:公より下したまふも此時|よりの例といふ》御諱字賜ひ平八郎 忠直と 名のつて十九歳の十月相模国禰宜内村にして所領を 賜ひ《割書:はしめ三百俵の禄米給ひ|此時より三千石を領せし》慶長五年の秋関ヶ原の 戦には山道の御供し同き七年上総国久留里の城を 賜ふ《割書:二万石○はしめ忠直か母いまた年若にして夫におくれて|よらんかたなかりけれは昌恒か手のものともとかくはからひて》