翻刻
【右丁】
明れは十一年の三月勝永海津をきつてをのか屋代
の館に引籠り酒井左衛門尉忠次につきて 御方に
参べき由を申けれは本領更級郡按堵の事を仰
下さる《割書:夏目日記を考ふるに去年六月高坂小笠原真田等|上杉にそむき北条に組せし 時事あらはれて高坂》
《割書:源五郎誅せられ国人等かはかりこと相違せり勝永も内々|国人等と謀を通せしか事ならされは其事となく日を送り》
《割書:しうちに家老堀江太郎兵衛といふものおのか子のすこしの罪にて|誅せられしを恨て屋代か家をさつて越後にゆき勝永か謀反》
《割書:の事を告んとす勝永たまりかねて海津の城をさる景勝此由を|聞て清野寺尾正保綱島大宝保利等の国人に仰て屋代うたるへし》
《割書:とありしかは勝永又屋代をすて|関東に逐電すと云々》酒井大久保の人々と心を
あはせ二心なくこゝかしこに戦しかは御書を給て賞せ
らるゝ事度々に及ふ小牧の戦ありし時も信濃国に
【左丁】
留てまもる《割書:関東にうつらせたまひしのち屋代に|たまひし本領の地 諸書に 見えず》慶長
五年奥の上杉中納言を追討のため御下向のとき
北陸山道の諸大名の御下知を奉つて御使たり子息
甚三郎吉忠徳川殿の足軽大将を承つて海道の御供す《割書:この|とき》
《割書:長三郎御弓の頭たりといふ事関か原の諸記に見へたり当家諸役人系図幷に
|御役人帳を見るに屋代か御弓頭なる事をのせす不審たゝし此とき》
《割書:諸役人おほくは山道の御供に有し故大御所の御供はあらたに仰つけ|られし事ありといへともかりなる事故役人系図等にもらせるにや》
《割書:○又按するに甚三郎後に越中守に任す武家補任を考るに一に|秀政と云々又世に伝ふる所忠照としるせるありふしん》
高正後に叙爵して越中守となる大坂の軍起りし時
佐竹右京大夫義宣か陣の撿使として安藤治右衛門 正次と
をなしく今福の堤にむかふ慶長十九年十一月 廿五日の