伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 38

ページ: 38

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【右丁】 戦に越中守父子さきかけし一二の柵を打やふり手の 者多くうたるれとも 子息甚三郎忠正生年廿一歳 矢野和泉守をうちとる大将すてにうたれぬれは敵は こらえす城中さして引て入明れは元和元年五月 七日の戦には越中守吉正将軍家の御旗をつかさどる 甚三郎忠正またよきかたき二人をうち手の者ともに 首四ッきらせて 献る 《割書:政事禄大坂の首 注文の下に屋代|甚三郎同人首四ッとしるせり此時に》 《割書:忠正 物頭たるへし 大坂両御陣供奉帳諸役人系図等に その事|見えす若此時御旗奉行を承れる越中守といひしは甚三郎忠正か》 《割書:事にや いまた詳|なる事をしらす》万治三年忠正叙爵して越中守に 任すこれよりさき寛永十五年二月寄騎十騎足軽 【左丁】 の兵五十人をつけられて御先手を承る《割書:総御鉄炮頭と|申す也》慶安 四年六月あらためて寄騎二十騎足軽の兵百人をつけ らる《割書:百人組の|頭といふ》寛文二年四月廿四日 六十九歳にして 卒す息男甚三郎忠興早世しその子忠至家を つく実は朝倉平十郎一至か息也 寛文二年十二月 廿八日叙爵し 越中守に任す《割書:今領する安房の国北|条の地一万石いまたし》 《割書:らすいつれの頃|より領せるにや》