翻刻
【右丁】
戦に越中守父子さきかけし一二の柵を打やふり手の
者多くうたるれとも 子息甚三郎忠正生年廿一歳
矢野和泉守をうちとる大将すてにうたれぬれは敵は
こらえす城中さして引て入明れは元和元年五月
七日の戦には越中守吉正将軍家の御旗をつかさどる
甚三郎忠正またよきかたき二人をうち手の者ともに
首四ッきらせて 献る 《割書:政事禄大坂の首 注文の下に屋代|甚三郎同人首四ッとしるせり此時に》
《割書:忠正 物頭たるへし 大坂両御陣供奉帳諸役人系図等に その事|見えす若此時御旗奉行を承れる越中守といひしは甚三郎忠正か》
《割書:事にや いまた詳|なる事をしらす》万治三年忠正叙爵して越中守に
任すこれよりさき寛永十五年二月寄騎十騎足軽
【左丁】
の兵五十人をつけられて御先手を承る《割書:総御鉄炮頭と|申す也》慶安
四年六月あらためて寄騎二十騎足軽の兵百人をつけ
らる《割書:百人組の|頭といふ》寛文二年四月廿四日 六十九歳にして
卒す息男甚三郎忠興早世しその子忠至家を
つく実は朝倉平十郎一至か息也 寛文二年十二月
廿八日叙爵し 越中守に任す《割書:今領する安房の国北|条の地一万石いまたし》
《割書:らすいつれの頃|より領せるにや》