翻刻
【右丁】
給ふほとに氏政父子一族郎従をわかつておほくの城々に
こめらる美濃守氏規 伊豆の国韮山の城にここもつたる
諸方の城々こと〳〵く攻落されて今は小田原の城のみ残
たり氏規かこもつたる韮山はつゐにおとされす此所の寄手
上方の大名七人に北畠内府の軍勢を合て五万余人以の
外に攻あくんてた遠攻にすること五月にそ及ひける
関白の仰を奉り徳川殿の御家人小笠原丹波守御使
として此城に行向ひみかたの人々の軍するやうをみる
小笠原上方の人々のいひかひなく城をまもり居たるを怒て
手勢引くし人ませもせす攻戦ひつゝくみかたなけれは
【左丁】
父子終にうち死すかくては此城いつおつべしともみえす
徳川殿氏規か許に御使を給ひ抑関八州の城々こと〳〵く
におとされぬしかるに韮山の城のみをいまたをとされす氏親の
名誉まことに双なしといひつへしこゝに太田十郎氏房
《割書:氏政の子|氏直の弟》羽柴下総守勝雄【ママ】と相議て東西の和睦事
ならんとす《割書:按するに関白浮田秀家|してはからせられし事也》たとひ氏規その城
一ッを守てうち死を決せらるゝとも小田原の城くたらん
上は其詮なきに似たりはや〳〵其城をさつて小田原の城
に入氏政父子事故なからん謀をめくらさるへしと仰
下さる又氏政父子へ書を給て其城はやくよせ手の