伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 53

ページ: 53

翻刻

【右丁】 為にひらき渡すへきよしを下知せらる氏親此上はとて城をは 徳川殿の御家人内藤三左衛門信成にわたし徳川殿の御陣に 参東西和睦の事を議す殿下 氏親か申旨に記せられ 伊豆相模武蔵三ゕ国をは氏政父子にまいらせ残る所の 国々うけとつて東西の人質とりかはし頓て御開陣 あるへしと仰らる氏規大に悦ひ 関白の御教書を 請うけて七月六日初の一点に渋とり口より小田原の 城に入衛中には又太田十郎氏房か申旨につきて 氏政父子のうちに違乱の事出来て氏直父の命に したかはす降を乞て同き七月六日外の一点に城を 【左丁】 出て北畠殿の 陣に参らる かゝりしかは氏規か謀むな しくなつて氏直は 死をなためられ氏政同く舎弟 陸奥守氏照をは誅せらるへきにさだまりて同き十日 関白の御使氏政の許にゆき面々自害の事をすゝむ 氏規力及はす氏政の介錯【諎は誤】してかへす刀にておのれも 自害せんとする所を警固の兵刀をうばひ死しかは 死する事を得す 関白も氏規去々年使として上洛 せし事見たまひしものにて 今度韮山の城をも固く まもり東西和睦の事をも はかり 氏政と死を共に せんとせし志の程を感したまひ いろ〳〵仰下さるゝ