翻刻
【右丁】
秋元
但馬守藤原泰朝は越中守長朝か男也《割書:長朝か父茂兵衛尉|といふ天正五年十二月》
《割書:十二日卒と云又長朝を一説に景朝と云 其父は茂兵衛尉といひて天正五年|十一月十二日に死すといふ其祖上総国周准【淮とも】郡 秋元の庄を領せしより》
《割書:秋元と名のる也 今も秋元庄小糸【絲】といふといふ所にある天南寺は世々の位牌有り|寺にては源氏なりと申すその系図見ねは其祖出しところ詳ならす》
累代の先祖関東の管領上杉の家人井草秋元岡庭とて
武蔵の国深谷三人の宿老なり 相模の北条威を関東
にふるひしより此かた主なりける上杉も北条に属ひぬ
天正十八年の春関白殿北条を伐たまひし時泰朝か
父越中守長朝主にしたかつて小田原の城にこもる
北条滅ひし後かの領せし国々皆徳川殿領し給ひ