伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 56

ページ: 56

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【右丁】 武蔵国を御座所と定らる当国に名ある者なれは 井伊兵部少輔直政すゝめにて越中守長朝をめし出され 御家人となさる慶長五年の秋奥の上杉中納言景勝 を御退治のため御下向ありしに上方又一時に軍起る 徳川殿まつ引かへし上方に向ひたまはんに上杉御後に うつてのほるへし此まゝ景勝を御退治あらんには上方の 軍勢攻くたらん此事いかゝあるへきと本多佐渡守正信 はかつて上杉か家老直江山城守兼続か許に越中守 長朝を使としていひ送る旨ありしかは奥方の軍兵 白川の関よりこなたにうち出る事なく徳川殿御心の 【左丁】 まゝに上方の敵をうち滅したまひそのゝち又長朝御使 として景勝か許に行向ふ此度は深谷の士大沼越後副使 となされ豊光寺等と共に下向し仰の旨をつたふ景勝 頓て領する所の国々を献て徳川殿に見参し天下 たちまちに事なく治りぬこれは秋元か先祖上杉の 被官にしてしかも長朝智謀のゆゝしき者なれは かゝる大事の御使をふたゝひ迄承りしとそ聞えける 其子息但馬守泰朝大御所に昵近し松平右衛門大夫正綱 一双の親臣にて《割書:時に御近習出頭人衆といふ大猷院殿の御とき|日光山の神宮つくらせしに右衛門太夫正綱と》 《割書:但馬守泰朝を奉行たらしめ|給ひしも此故とそ申しける》其のち寛永十八年二月三日