翻刻
【右丁】
甲斐国谷村の城を賜ひ《割書:一万八|千石》三代の君につかへ奉り
堂き十九年十月廿三日とし六十三歳にて 卒す
嫡子越中守富朝つき明暦三年六月十七日四十八才
にて卒す 子なけれは 外孫をもつて嗣とす摂津守
喬朝【ママ】実は戸田越前守忠昌か男年九歳にして外祖の
よつきとなる 万治三年十一月叙爵し 但馬守に
なり寛文五年十二月摂津守になる延宝五年七月三日
御奏者の事をうけたまはる
【左丁】
稲葉
内匠頭越智正成は伊予の河野か末葉稲葉兵庫頭重通
か子実は林 駿河守か孫 総兵衛尉か男なり《割書:家の系図|かくの如し》
《割書:いはく林は元清和源氏なりと云々 稲葉の系図は別に見ゆ爰に|略しぬ世につたふる所は 美濃の稲葉の庶流を林といひしなり》
《割書:織田殿の 家老林佐渡守通勝 林の嫡流なり総兵衛尉正三は其|庶流なり正三はしめ当国の斎藤山城入道道三につかへ高洲の城に》
《割書:住しのちに織田殿につかふと云 家の系図|には異なれともこゝに注して暫く一説に備ふ》正成筑前中納言秀秋
に仕へて彼家の老となり受領して佐渡守に任す関ヶ原
の軍に秀秋に随て関東の御方なり《割書:家忠日記追加を考|ふるに此時に正成》
《割書:村越茂助につゝきて 此たひ秀秋か御方たりし事 某かはからひ|たるよしを申すによつて 御書をたまはつて賞せらると云々たゝし》
《割書:秀秋の御方せしはしめより故ある事なり|くはしくその伝に見ゆ追加の 説不審》秀秋又卒して嗣なく