翻刻
【右丁】
正勝三十八歳にて卒し其子鶴千代丸いとけなくして家を
つく春日の局は慶安二年に至て卒す《割書:去りし寛永二年城北に一寺を|寄付せられ《割書:三百|石》天沢寺と号《割書:ス》》
《割書:卒して此寺に葬れり将軍家いろ〳〵の作善とりをこなはせ玉ひみつからも墓所|にまうてさせたまひ年〳〵の忌日をもたへすとふらはせたまひぬと云々》
鶴千代丸成人して正則と名のり美濃守に任し明暦三年
九月廿八日宿老の職になされ同き十二月廿七日に従四位下
寛文元年十二月 晦日 侍従にすゝみ同三年二月八日所領
の地を加へ賜ふ《割書:一万|石》延宝八年正月十二日又所領加へらる
《割書:一万五|千石》嫡子丹後守義雅二男出羽守正香男女の子なを
多し
【左丁】
堀田
加賀守紀正盛は武内の大臣三十五代の孫尾張守
之高か後胤なり之高か子尾張守 正重尾張の国
津島に住す 其孫加賀守正道か時に至て 織田
備後守信秀に属す正道か子孫右衛門尉正貞正貞
か子勘左衛門尉正利は加賀守政盛の父なりけり正利
はしめ金吾中納言秀秋につかへ《割書:五百石|領せり》稲葉佐渡守
正成か娘を妻とす金吾家をさりし時正利おなしく
かしこをさるそのゝち佐渡守正成か妻春日の局の
ゆかりにつき正利正成と共に御家人に成て御書院