伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 60

ページ: 60

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【右丁】 の番衆となる大坂の合戦に水野隼人正忠清か手に 属して高名せしによつて其賞を下したふ《割書:三百|石を》 《割書:賜ふ合せ|て七百石也》又御使番になされたり其子加賀守正盛 いとけなきより左大臣家につかへたり双なき寵臣 なりしかは元和九年十二月十六歳にて叙爵し 次第に見を起して禄あまた給ふ《割書:忠盛か母の春日の局|かうみし子には非す》 《割書:佐渡守正成か前妻のうみし 所とも|いひまた妾のうみしとも いふ也》寛永六年二月十七日 正盛か父正利死年五十九歳なり《割書:世につたふる所は子息|正盛か次第に身を起す》 《割書:をふかくよろこひなましゐに 我か世にあらんは|子息のためにあしかりなんと思ひ自害せしと也》同八年五月 廿一日正盛御扈従組の番頭となり《割書:十二年の十|二月に至る》十二年 【左丁】 二月宿老の職となり《割書:ほとなく加判の事御免ありて|世には御近習 出頭といひし也》同十月 廿二日武蔵国河越の城を賜ふ《割書:三万|石》十五年正月十一日 信濃国松本の城にうつる《割書:七万石○一説に|此時十万石》十七年十二月廿九日 侍従にすゝみ 十九年正月十一日 下総国佐倉の城に うつる《割書:十二|万石》慶安四年四月廿日 左大臣家薨しさせ たまひしかは此日正盛腹きつて 殉死す 年四十 六歳正盛男子五人あり嫡男上野介正信二男 脇坂 淡路守安元か養子となつて中務少輔安善といふ 三男大太郎正俊《割書:後に|備中守》四男虎之介《割書:後に対馬守|正英といひし也》五男 右馬助《割書:後に南部山城守か養子となつて|内蔵助正勝といひ早世しぬ》此年八月嫡男上野介