翻刻
【右丁】
貞能いとまこふてたち出候を左馬助道の程とをし酒ひとつ
参らせんといふ貞能日もはや暮ぬへしかねてまうけし
給はゝたまはらんさなからんには此まゝにても帰りなましといふ
左馬助郎等めして酒とくまいらせよといひしかはたち帰り
しつかに酒打飲てたち出る左馬助もさては人の申せしは
そらこと申とそ思ひける今夜貞能幷に子息九八郎信昌を
のか城をさつて宮崎滝山に要害かまへてたてこもる《割書:創業|記に》
《割書:貞能か父の道文入道幷に二男は武田にくみすとあり按するに道文は|文禄四年十月九日八十四歳にて卒す 二男とあるは藤兵衛貞治事》
《割書:なるへし此人は関原の戦にうち死せし也○九八郎のちに信長より|諱字賜て信昌といひし也此ころの名分明ならす貞昌といひし》
《割書:よし日記に見ゆしかれとも系図を考ふるに 信昌の曾祖を貞昌と|いふか心得かたけれはうたかはしくしはらく後の名をもつて称する也》
【左丁】
徳川殿此よしを聞し召御勢を加らる貞能父子武田勢と
戦ふ事やむ時なし貞能一族をはなれをのか城をすて子息
信昌武田かもとに質とせし最愛の妻をすてゝ父子おなしく
御方に参る事其志もつとも ふかし其賞是かろかるへからす
とて長篠の城おちし時 城をは信昌に下し給ひ《割書:天正三年|二月の事也》
又第一の御むすめを信昌か妻とさためらる《割書:亀姫君後に|加納殿と申せし》
《割書:御子なり 岡崎三郎殿御同母の御妹也 此時岡崎殿信康か妹をいかて|信昌か妻とはすへきとのたまへは徳川殿の御心にもかなひかたく此よし》
《割書:織田殿と仰合さる信長岡崎殿に異見あつてのたまふ所ことはりに|似て侍れとも 彼父子は徳川殿の御ために双なき忠あつて事にかたきの》
《割書:境まもらせ給ふものなれはまけて父の仰にしたかひ給はん事しかるへし|とおほせける 岡崎殿聞し召父の仰といひ又織田殿もかくのたまふ二人の》
《割書:親の仰られん事いかてか又蔵し侍るへきと のたまひしかは 姫君かの|家にまいらせたまふへきにきはまりぬ》