翻刻
【右丁】
《割書:とはるへし事の由をつらに申すへし としるせり さらはなと此所に|ありなからめしをも またて候へきといはれし身の いとまを申さて》
《割書:ほしゐまゝをのか城に引こもつて 候はいかに たとへ心に存する所|忠ありともそれ所行は 上を蔑如し 奉ていさゝか反逆に似て候》
《割書:正信かつねの心にかゝる事候はんに はその身はいふにやおよふ一門 の|ともからをもきつて厳科に処せらるへしや候はん故加賀守かのちにて》
《割書:侍れはあまりに不便に存すれは狂気とはおもひなして候心狂したらん|人はいかなるつみをもゆるしなためる事勿論の事に候ものをはいひしに》
《割書:正之朝臣をはしめとして一座の人々まことにふるきをもんはかり|にて候ひきそれまての事はおもひもよらす候さて〳〵と大にかんし》
《割書:あへりき此事よくしれる|人のかたりしをうけたまはりき》やかて安藤対馬守同市兵衛佐倉
の城にゆき向て正之正秋の旨をのふ陳申さる所承りぬ
さりなからその城に引こもつて居たまはわんには陳申さるゝ
所御聴に達しかたきかおなしく舎弟 中務少輔安吉
備中守正俊ふたりか所領の地いつかたならんにもまつ
【左丁】
籠居あるへくや候と いひしかはさらはとて 正俊か所領もり
やといふ所にうつる同十一月三日正信か所領收公せられて
弟中務少輔 安吉預りてをのか信濃国飯田の城に赴く
正信か息帯刀正職別に 伴末?を賜ふ《割書:一万|俵》寛文八年
十二月廿七日 叙爵して豊前守になる正信又寛文
二年五月十八日 酒井修理大夫忠直に 預られて 若狭
国にうつさるこれは中務少輔 安吉播磨国竜野を
給て移りしか故也 延宝五年の春正信ひそかに若狭
の国を出て都にのほり男山清水等に参詣し願書
こめて将軍家わか君御誕生の事をいのる此事