翻刻
【右丁】
披露ありしかは修理大夫かまもるの怠れるを御とがめ
あり又豊前守正勝もおなしく こもりてありし
か二人程なく御ゆるしを蒙る正信をば淡路の国へ
うつされて松平阿波守綱通に 預らる同六年の秋
綱通卒し其子淡路守綱矩 預人となる同八年五月
八日右大臣家薨しさせたまひぬ正信配所にて此よし
を伝聞てふかくなけき 預人綱矩か許へ文のこして
同き月の廿日剪刀をもつてみつから吭をかきゝつて
死す年四十九才
備中守紀正俊加賀守 正盛か三男外曾祖母春日の
【左丁】
局か養子として右大臣家御誕生ありし御七夜
よりつかへ奉る春日のつほね卒して後その 所領を
ゆつられ《割書:三千|石》父か遺領と共にあはせ領す《割書:一万三|千石》万治
三年二月廿三日に奏者の事をつかさとり寛文七年
六月上野国 安中の地を賜ふ《割書:一万八千石|を領せし也》同十年二月
廿二日少老の職に補せられ延宝 六年十二月廿九日
加へられ《割書:五千|石》同七年七月十日 執政の職に至り所領
加へ賜ひ《割書:三万八千石|になれり》十二月廿七日従四位下に叙す