翻刻
【右丁】
道灌《割書:永享記に|資長とのす》同国荏原の郡品川の館にあり豊島の
郡江戸の城を築てうつりすむ《割書:永享記に資永廿五歳の時|江戸の城を築くといふ》
《割書:しかれは康正六年の比にや 按するに ■霊彦■公等か禅勝軒|■高等の記は文明五年に 築けるところとす》
其子六右衛門 尉資康その子大和守資高《割書:此人平河に|一宇の精舎を》
《割書:たつ今の平河山|報【ママ】恩寺これなり》北条にしたかひ其子源六郎康資父に
つき《割書:武廬入道|これなり》永禄の初北条にそむき 安房の里見を
頼て 彼国に赴く天正九年十月とし五十一歳にて
つゐにかしこにて死しにけり 《割書:按するに永禄七年 鴻の台|の軍のゝち房州に落行し》
《割書:なるへし○夏目か記を按するに太田美濃守資政入道三楽は道灌|四代の嫡流にして 源六郎康資入道武廬は道灌の舎弟か四代の》
《割書:孫なりとしるせり家の系図を見るに武廬共に道灌の子孫たり其|家の系図あやまるへからすうたかふへきにあらすさりなから三楽が》
【左丁】
《割書:のちにひた常陸にてまうけし子太田安房守といふは三河守殿につかへて越前の国に■|かれ太田の嫡流にして頼政より道灌に至るまての系図幷に其家の重宝悉く》
《割書:安房守か子孫の家に今に伝へたり しかれは夏目か記もより所なしともいひ|かたきにや しはらくこゝに しるして一説に その ふるなり》
其子新六郎父死して後一族美濃守資政入道三楽
とともに《割書:三楽は 重政か母|かたの 伯父か》佐竹か家につかへ天正十八年
北条滅しのちはしめて徳川殿につかへ明れは十九年
奥の御陣にしたかひ文禄三年 肥前国名護屋に
おもむかせたまひしには松平大隅守か 手に属して
江戸にとゝまり 慶長五年関ヶ原の時海道の御供し
同十五年に 死す《割書:はしめ天正十八年関東へうつらせ給ひし|時武廬か娘 新六郎 妹おかちのつほね》
《割書:年廿三にてみやつかへし つねには 御側にさふらひて 日々に御|寵愛あさからす御娘一人をまう く奥の伊達政宗の男忠宗に》