翻刻
【右丁】
《割書:あはせらるへしとおふせあはされしに四ッの御としかくれたまひし|かはおかちのつほねなけきてかしら おろし かの御あとをとひ参ら》
《割書:せんなと聞えしかは あはれに思し召て慶長十六年の四月御外孫|なりける池田殿の 御娘をかのつほねの 養君となされて忠宗に》
《割書:あはせられ又元和二年四月水戸中納言頼房卿をかのつほねの|養君とさためらるされは武盧入道を頼房卿の御外祖とも 申す也》
《割書:此年大御所かくれさせたまひしかはおかちのつほねかしらおろし其後|頼房卿の御娘を養君とせらる 左大臣家その御娘とりて御子となし》
《割書:たまひ加賀光高朝臣に あはせたまふこれ大姫君と申せし御事也|寛永十一年六月尼御前鎌倉扇谷に一宇の精舎をたてし英勝寺》
《割書:と号し 又頼房卿の御娘をやしなふて髪おろし参らせかの寺の住持|職をのそみけれは同き十三年十一月廿二日御ゆるしあり十九年十一月廿日》
《割書:相模国三浦の地三万石をかの寺によせらる十八年の冬に尼御前の病|おもしと聞食 左大臣家 みつから その病とはせたまひほとなくうせ》
《割書:たまひしかは色々の御作善を|おこなはせたまひしなり》其子資宗父につき《割書:上総の野田|山本に五百石》
《割書:の地を|領す》駿河の御所につかへ奉り慶長十一年の冬将軍
家につけられ大坂前後の軍にしたかひ元和元年正月
【左丁】
叙爵す《割書:はしめ摂津守又采女正|のちに備中守に任す》左大臣家の御時御扈従組番頭
となつて寛永九年四月七日御書院番頭にうつり此年
十二月十四日仰かうふつて常に御側にあつて事を執る
《割書:諸役人帳等には少老職たり とのす 家の系図にはしかと見えね共松平|伊豆守信綱阿部豊後守正秋等六人と連署して事を執ししと云々》
資宗はしめ慶長十七年の冬所領加賜ひしより恩かう
ふる事五度におよひて 寛永十二年八月九日上野国
山川の地を下し賜ふ 《割書:爰におゐて一万|五千六百石》同き十五年の春
肥前国島原の 賊徒たいらきしのち 資宗御使承て
かの国に向ふことし 十一月五日 三河国 西尾の城を賜ふ
《割書:三万五|千石》職事こと〳〵くに御免あつて御奏者の事を