翻刻
【右丁】
其嫡男摂津守資次家ゆつられ《割書:三万三|千石》二男式部資良
所領をわかたれたり《割書:三千石に開発の田|二千石合て五千石》延宝六年六月十九日
摂津守資次大坂の城鎮守の事を承り《割書:御城代と|申す也》所領
あまた加へ給る《割書:五万五千石に|いたるといふ》
【左丁】
朽木
民部少輔源頼綱は宇多天皇の御末近江の国の源氏
佐々木源三秀義か孫近江守信綱はしめて当国朽木
の庄の地頭職に補せられ末流の子孫朽木とは名
乗けり信綱十代の孫民部少輔植【ママ】綱か時に当て
享禄元年九月義晴将軍京都の乱を御さけ有て
近江の国に赴き朽木の谷に入らせたまひしに植【ママ】綱
をのか館しつらふて御座所となしよきにつかへ奉り
けれは将軍家此館に御滞留ほとを経て御帰洛
の後植【ママ】綱をたのもしき者に思し召常に御剣の役に