翻刻
【右丁】
候せしめし次七人の其一に撰れたり天文八年六月
将軍御父子また 兵乱をさけて 八瀬の里にうつらせ
たまひしにも植【ママ】綱御供して守護し奉り同き十九年
義晴将軍当国穴太の山中に薨したまひしにも植【ママ】綱
御跡の事よくとふらひ奉るされは治る時に当たは君臣
の礼植【ママ】綱かこときは誠に珍らしからす時人管領職事
なといふ人をはしめて諸国の大名高家等君をも臣をも
しらすたゝ地をあらそひ兵を戦しめをのか家立んとのみ
ふるまひし世にかゝる礼をも節をもつくせしもの類なく
こそ聞えけれ其子宮内大輔貞綱其子河内守 元網
【左丁】
これ民部少輔植【ママ】綱か父也けり元網か時織田上総介殿三好か
乱をしつめて義昭将軍を都に帰し入奉り元亀元年の
春越前国に発向したまひしに 近江国にて浅井心変し
けりと聞て 大に驚き みかたの軍勢をも捨て《割書:此とき信長|徳川殿の》
《割書:御加勢をこはれしによつてむかはせ給ひしに徳川殿をもすてゝにけ帰|されしかは御軍もつての外に大事に及しかとみつから御手をおろ》
《割書:されかたきをやふつて御帰ありし世に徳川殿|金ヶ崎の退口と申伝へしは此時の御事なり》朽木谷にかゝつて
にけ帰りたまふに 河内守元網いそき軍兵を催し御迎の
ために出向ふ信長これも又心変してけりと大におそれて
すゝみえす松永禅正久秀これを見て久秀まかり向つて
元網か心をひゐて見候へしもし心変したりと見たらん