翻刻
【右丁】
十年正月十一日御書院番の頭になされ同十二年寄騎同心
を属せらる十三年十月御旗本の事を掌り《割書:一説十一年十月八日|少老の職になされ》
《割書:土井遠江守酒井備後守三浦志摩守太田備中守と同しく御旗本の事を沙汰す|其後三浦朽木二人して此事を掌とる当時の人是を若年寄といひしと云》
同十一月御扈従組の番頭を兼ぬ慶安三年三月十八日常陸
の国土浦の城を賜ひ《割書:五千石を加賜て|三万石を領せし也》前職を免されて御
奏者の事を奉り兼て 御鷹の事をつかさとる万治三年
十二月十三日五十七歳にして卒す嫡子伊予守 秀綱(イ 植昌)家を
つき《割書:二万七|千石》二男和泉守則綱所領わかち賜ふ《割書:三千|石》伊予守秀綱
寛文七年八月十五日御奏者の事を奉り同九年六月八日
丹波国福知山の城にうつる《割書:三万二|千石》
【左丁】
内田
信濃守藤原 正信は平左衛門 正則か男《割書:いまた系図を|見ねは其元祖》
《割書:の事をつまひらかにせす永享 記を見るに 結城の城にこも|りし人々のうちに内田信濃守といふあり此家の先祖なるにや》
童の時より左大臣家に つかへ奉り双なき昵近にて
次第に身をたて家を起す 《割書:御近習昵近と|いひしなり》慶安四年
四月廿日左大臣家薨しさせたまひしか腹きつて
殉死まいらす其子七十郎家をつき《割書:一万五|千石》万治元年
十二月廿七日 叙爵して 出羽守に 任す