伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(六) - 翻刻

藩翰譜(六) - ページ 73

ページ: 73

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【右丁】 彼中坊めされて勧賞をおこなはれ累代の所領なれは とて小柳生の庄を賜る 総領なれは 永珍にゆつる これよりふたゝひ永家か子孫につたえて美作守 宗厳に至て三好修理大夫長慶に属す其子但馬守 宗厳《割書:永禄より 十八代のよしいひ|つたふと宗矩の申せし也》松永禅正忠久秀とともに 三好にしたかひそのゝち織田殿にめされて宗厳を案 内者とし大和国をうちしたかへんとて柴田滝川佐久間 等の大将をさしむけらる宗厳後に身わつらふ事 ありて入道し柳生の庄に引こもり慶長五年 関ヶ原の戦の後に大御所に召出され同き十一年 【左丁】 八十歳にして卒しぬ《割書:織田殿のとき宗厳大和の守護筒井入道|順慶に属して所々の高名ありき関白秀吉》 《割書:天下をしろしめして当国をこと〳〵く御弟秀長大納言にまいらせられしに |柳生譜代の郎等松田といぬもの告申せし旨ありて 柳生の庄隠田の》 《割書:科に処せられて 累代の所領没収せらる宗厳くちおしき事におもひ|三人の息にいかにもして 汝ら本領を按堵し松田か首切て 我に手向よと》 《割書:いひしか宗矩ふたゝひ此地領する事を得て松田を|からめとつて庄田といひし郎等して首をはねしと也》はしめ慶長五年 の秋徳川殿奥の上杉御追討のため御下向ありて下野 の小山に至り給ふ時上方また軍起りぬときこゆ但馬守 宗矩此時はいまた浪人にて 又右衛門と申しひそかに此 御陣にしたかふ徳川殿此由を聞しめし宗矩をめして 汝いそき本国に帰り父と共に国人等を催し上方にして 兵起すへきよし仰下され父宗厳に御書をたまはる