翻刻
【右丁】
彼中坊めされて勧賞をおこなはれ累代の所領なれは
とて小柳生の庄を賜る 総領なれは 永珍にゆつる
これよりふたゝひ永家か子孫につたえて美作守
宗厳に至て三好修理大夫長慶に属す其子但馬守
宗厳《割書:永禄より 十八代のよしいひ|つたふと宗矩の申せし也》松永禅正忠久秀とともに
三好にしたかひそのゝち織田殿にめされて宗厳を案
内者とし大和国をうちしたかへんとて柴田滝川佐久間
等の大将をさしむけらる宗厳後に身わつらふ事
ありて入道し柳生の庄に引こもり慶長五年
関ヶ原の戦の後に大御所に召出され同き十一年
【左丁】
八十歳にして卒しぬ《割書:織田殿のとき宗厳大和の守護筒井入道|順慶に属して所々の高名ありき関白秀吉》
《割書:天下をしろしめして当国をこと〳〵く御弟秀長大納言にまいらせられしに
|柳生譜代の郎等松田といぬもの告申せし旨ありて 柳生の庄隠田の》
《割書:科に処せられて 累代の所領没収せらる宗厳くちおしき事におもひ|三人の息にいかにもして 汝ら本領を按堵し松田か首切て 我に手向よと》
《割書:いひしか宗矩ふたゝひ此地領する事を得て松田を|からめとつて庄田といひし郎等して首をはねしと也》はしめ慶長五年
の秋徳川殿奥の上杉御追討のため御下向ありて下野
の小山に至り給ふ時上方また軍起りぬときこゆ但馬守
宗矩此時はいまた浪人にて 又右衛門と申しひそかに此
御陣にしたかふ徳川殿此由を聞しめし宗矩をめして
汝いそき本国に帰り父と共に国人等を催し上方にして
兵起すへきよし仰下され父宗厳に御書をたまはる