翻刻
【右丁】
宗矩かしこまつて仰承り引かへして本国に馳帰る
関ヶ原の軍終て後始て御家人になされて柳生谷
栗坂の地を賜ふ大相国家の御時御恩加らる 《割書:一千石を|たまふ》
左大臣家世をしろしめされて 初所領倍し賜ふ《割書:此時旗本|の人々一同》
《割書:に所領一倍の|御加恩なり》寛永九年九月朔日 軍の御使たるへき由を
仰下され五文字の 幟御免あり同き十月 二日所領
加賜ふ《割書:三千石を|たまふ》十二月十七日始て総目付といふ職置て
宗矩水野河内守 秋山修理亮井上筑後守其職に
任す《割書:これ今世の|大目付也》其後御恩度々におよひて所領あまた
知行す《割書:一万二千五百|石に至れり》宗矩か父故但馬守宗厳兵法の達者
【左丁】
にて《割書:刀を撃事を 我朝にて兵法といふ異国にいふ兵法|にはあらす又世に剣術といふはひか事にや》男子三人
いつれも其業をつく新二郎厳勝は 終につかふる事
なくて死す 二男但馬守宗矩なり 三男五郎右衛門
某慶長九年十二月廿日出雲伯耆両国の守護中村
伯耆守忠一か飯山の城を攻し時五郎右衛門 城中に籠て
防き戦ふかれか鋒にまはるほとの者疵をかうふり
命をおとさすといふものなし《割書:事は中村か伝に 詳なり|柳生は藤井勘兵衛と云》
《割書:ものゝために|うたれぬ》これよりして柳生か兵法天下にあらはる
左大臣家御年わかくましませしより此事を
好ませたまひ宗矩御師範にめさる年比たゆみなく