翻刻
【右丁】
左大臣家つねに御傍の人々に天下の務宗矩に学
ひてこそ其大体を得つれとのたまひしとそ聞へ
けるされはにや宗矩年七十六歳にて正保三年の春
病日々におもりしにかたしけなくもかれか家にならせ
たまひ同き三月廿六日終にむなしくなりぬれは当時
例なき 贈位の事 執し仰られ 従四位の下に
あけられてかの黄泉の冥暗をてらされたり是
偏に年比の役補導の功感しさせたまふ所にや
ありかたかりしめくみ也《割書:宗矩か卒せし 後も事に|つれては宗矩いきて世にあらは》
《割書:此事をはたつねとふへきものを なとふかくしたひ仰下されしは|日ころいかなる事をやたつねさせ給ふまた答奉りたりけん誰かは》
【左丁】
《割書:又しるへきなれは 人のしれる事なし たゝ寛永十四年筑紫にて逆徒|おこりし時宗矩かかねて申せし旨に事たかはさりし事のみそきゝ伝へ》
《割書:る如し 十一月十日有馬玄蕃頭豊氏の家に散楽ありて人々多く集り|みる宗矩もこゝにゆきむかつて酒宴なかはなるに日既に末の終りかたに》
《割書:なつて宗矩か郎等来り主をよび出して 君はいまたしろし|めされすや 肥前国高木の郡土民 百姓こと〳〵くに耶蘇の門徒》
《割書:にて守護 松倉殿にそむき有馬の古城〳〵(に)【左に◦】たてこもる よし筑紫より|早馬来てつけ申により 板倉内膳正追討の御使をかうふりたまひはや》
《割書:御発向候ひぬと告る 宗矩さらぬ体にて座に帰てはや御むかひいそきて|宿所に帰るへき事出来て候足はやき馬かしたまへといへはくらをきて》
《割書:ひつたついそきうちのりて西をさしてはせゆき品川に至て|板倉はすきしやととふ今ははるかにのひさせ給ふらんと答ふ鞭鐙》
《割書:をあはせてはせゆき川崎に至て又とへは板倉殿今は二三里もへだ|たゝせたまふへしとこたふ日はすてにくれなんとす せんかたなくて引》
《割書:かへし城にのほる日はとくくれてけり近くさふらふ人をもつて宗矩申|へき事あつて伺候しぬと申けれはやかて御前にめされて今何事にや》
《割書:参りしとたつねきかせ給ふ宗矩かしこまつて 今日しる人のもとに|さかもりし候に築紫にて耶蘇の逆徒おこり内膳正重昌追討御使》
《割書:を承りはせむかふと承りしほとに仰の旨と称してとゝめはやと存し|馬をはせて追かくれと追付す日暮候ゆへに此よしを申さんとて》