翻刻
【右丁】
山梨高道《割書:遠江の|地なり》等の地を賜ひけり同き七月貞能父子三河国
武節の城を攻おとす信忠朝臣《割書:信長の|嫡男》その地つけて奥原にそ
給ひける八月信昌酒井左衛門尉忠次に伴ひ織田殿へまいる
九八郎か此度の功無双なり武者之助と申せとて諱字に刀
そへて賜ひその外に物多く給て帰さる《割書:これより信昌と|名乗るといふ》同き
十年武田亡ひ織田殿うせたまひ信昌酒井左衛門尉忠次と
共に信濃国に向ひ伊奈の郡打したかへしによつて榛原の
郡を下したふ 十二年の春徳川殿北畠をたすけて尾張国に
むかひたまふ手合の合戦に信昌先かけし森武蔵守長一か陣を
打破り十八年小田原を攻られしに信昌後陣を承る此年関東に
【左丁】
移りたまひしに美作守貞能上野国小幡の地を賜ひ《割書:三万石|○按るに》
《割書:此説家忠日記に信昌に上野国宮崎二万石を給とはかりありて貞能に所領|給ひし事をのせす此時貞能存生なりおもふに父子をの〳〵所領 給ひしにや》
《割書:たゝし貞能は 致|仕せしにや》慶長三年十二月十一日六十一歳にて卒す子息九八郎
信昌も又美作守に成同き五年九月関ヶ原の軍終てのち信昌京
都の守護となり《割書:当家所司代|置れし始也》六年二月美濃国加納城を給て移る
《割書:此時十万石を領す岐阜の城をうつし築かる当春|天下をしろしめして第二番にきつかれしところなり》今年十二月廿八日
嫡男大膳太夫家昌下野国宇都宮の城を賜ふ《割書:十万|石》家昌童
名は九八郎《割書:是大御所の御外孫ある説に家昌は加納殿の|むませ給ふところに あらすと 不審》天正九年
十二月《割書:一説には十五歳の|としの二月といふ》徳川殿の御前にて元服し御諱の
字を給ふ文禄四年叙爵して大膳大夫になさる《割書:一説に慶|長四年に》