翻刻
亀(かめ)山へ五里行道に尻(しり)見せてたんばくりとや是をいふらん
とどよめば。奴(やつこ)ふり帰(かへり)。ほゝえみ御 坊(ぼう)は都(みやこ)人と見え申。京はめはづ
かしと聞しに。口さへ恥(はづ)かし。お江戸(ゑど)を出て百三十里の道
すがら。比丘尼(びくに)がうき世(よ)ぶし。馬子(まご)が小むろのひなめきたるな
らで。歌(うた)といふ物きゝ侍らず。おかしき事申されて。此間の心
をはらしぬ。いで返(かへ)し申さんとて東奴(あつまやつこ)
丹波栗(たんばぐり)みのかはむひて恥(はづ)かしなあづまからけのしほれ下帯(したおび)
といひしに船こぞりて肝(きも)をけしぬ。とかくすれば船(ふね)もつき。主(ぬし)も
岸(きし)にあがる。是より道づれになりて語(かた)り行こそ。こよなふ
心 慰(なぐさ)むわざなれ。樫原(かたぎはら)といふ所にて打休(うちやすらひ)餅(もち)くふとて筍斎
ものゝふの奴(やつこ)の心 樫原(かたぎはら)歌にやはらぐあづきもちかや
といへば奴又 笑(わら)ひて貴方(きほう)は薬師な。実(げに)気(き)の薬な人かなとて
気(き)の薬もりの木陰(こかげ)の一休み身はかたぎはら心まめのこ
恐(おそろしき)ひけ男のかゝる事ともいふべしとはかけてもしらさりき。
これや市中(しちう)の賢人いかなる人の。かゝる下品(けひん)の奴僕(ぬほく)【左ルビ「やつこ」】とは
成けんとゆかし〱とへど。紛(まぎら)はしていはす成ぬ。此さとのすへ
より其人は大 原野(はらの)に文もてゆくに。公用(こうよう)とゝむべ〱もあらね
ば残(なごり)をしけれど別(わかれ)ぬ。ゆき〳〵て塚原(つかはら)のさとといふを
過れば。こゝら皆山みち也。傍(かたはら)の松がねにあたらしき石塔(せきたう)
壱つあり。此辺 墓所(むしよ)とも見えず。只ひとつしるしを残(のこ)
すいぶかし〱柴(しば)こる男にゆへをとへば男の云。されば是に
つき哀(あはれ)なる事の侍る。是より奥(をく)三里斗川 関(ぜき)といふ所