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之早舩を御陳所之下に乗浮へ貴殿与我々
同舩して大手筋を可見計与云遣す
十七日辛亥
勇功記曰十二月十七日辰刻稲次壱岐有馬内
記小早舟を乗出して十時三弥を偶城之東南を
見巡て日枝之御陣所に皈り両人忠郷之御前
に出て海手之様子御物語申ける中に内記壱岐か方
を見て先程三弥城に向ひ鉄炮壱つ打せ多るは
如何成故共難知貴殿は何与思給ふ哉与云け連
は忠郷何事を云そと宣に依て内記斯之由を
御返答申主も此度者不審に思已れ壱岐か了
簡を御尋有り壱岐承り三弥か心中を察し候に大
手堀切上は手薄きに依て矢法を考彼所ゟ急
に乗入左近殿に手柄をさせ申さんと在躰也
然れ共数千之郷人とも死を決し堂るに篭城な
連は乗入沙汰盤存も寄らすあたら侍を多
く討せ立花殿に損とらせ申さん事眼前に阿
ら連と申けれは忠郷茂左も有へしと被仰此度
稲次か嫡子《割書:実は右近か子|壱岐孫也》内匠《割書:後号|壱岐》城辺之地形を