翻刻
【右丁】
人々 形気(けいき)人欲(じんよく)を以て是(これ)を苦しむ是を人の家(いへ)
に居(お)るにたとふれは心は人にて体(からだ)は家のごとくされば
其家いか程よき材木(ざいもく)を用てよく普請(ふしん)したり
とも住む人みだりに柱を動(うごか)し壁(かべ)を落(おと)し抔し
て乱妨(らんはう)するときは其家 終(つい)に破損(はそん)するごとく
生れつきの壮実(そうじつ)なるものゝ夭死(わかじに)するはよき家なれ
ども荒(あら)く住なして人の居(い)られざるがごときもの
なり此 壁(かべ)を落し柱(はしら)を動(うご)かすは何(なに)をしてかかゝると
いふに喜(き)【左ルビ:よろこび】怒(ど)【左ルビ:いかる】憂(ゆう)【左ルビ:うれうる】思(し)【左ルビ:おもふ】悲(ひ)【左ルビ:かなしむ】恐(きやう)【左ルビ:おそるゝ】驚(きよう)【左ルビ:おどろく】にありて是を七情(しちてう)と
いひ此七情を略しいふときは喜(よろこ)ふも怒(いか)るも神気(しんき)を
【左丁】
外へ多(おゝ)く張(は)る故にみだりに喜(よろこ)びみだりに怒りたる
後(のち)は必ゆるむ憂(ゆう)思(し)悲(ひ)恐(きやう)驚(きやう)は神気を内へ引きしむる
をいふかく内外へ衆(あつむ)ると散(ちら)するとの別(べつ)有(あり)て其内
にもその寛(くわん)急をいふときは憂(うれい)思(おもひ)悲(かなしむ)は神気(しんき)を引
しむる事の寛(ゆる)やかに恐(おそれ)驚(おどろく)は是をあつむる事の急(きう)
なる故に至(いたつ)て思慮(しりよ)するときは神気 心臓(しんぞう)に集(あつま)り
て外より物の侵(おか)す事をも知らざるなり故に心こゝ
にあらざれば見れども見へず聞(きけ)とも聞えず食(くら)へ
ども其 味(あじわひ)を知らずといふも皆 応(おゝ)ぜさる故に心神
の位する処に一(ひとつ)として応(おゝ)ずる事なしむかし