翻刻!江戸の医療と養生

コレクション: コレクション4

こけぬ津え - 翻刻

こけぬ津え - ページ 67

ページ: 67

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【右丁】 南方にも湿症(しつせう)あれども是多くは伝染する処なるべし 故に尾張三河の国などは山々 遠(とふ)くして日当りのよき 国には陽気の運よき処なるが故に湿症(しつせう)すくなし扨此 湿毒の伝(つたわ)りはじめは漢土(かんと)には明(みん)の頃(ころ)より黴毒といふ 事ありて是も明人の韃(だつ)を攻(せむ)る時北地に入(い)りて寒を 膚(はたへ)にうけて黴を発(はつ)したるものにて又楊梅瘡 疥癬(ひせん) 抔も此頃より漢土 一統(いつとう)に盛(さかん)に行れたるものなり皇国 にて此癬疥をひぜん瘡といふも肥前の長崎(なかさき)より来り たる故にその名あり是本長崎の青楼(おやまや)よりうつりうけ たるものにて長崎の青楼は唐人(とふしん)の遊(あそ)ぶ楼なれはその 【左丁】 妓女(▢やま)【▢は「お」ヵ】の輩に伝染せしより我邦の人にも汎(ひろ)くうつり たるを以て伝染の湿の始りをひぜんとす扨また何国 の妓女といへども多淫(たいん)なる者故に湿(しつ)どく多(おゝ)し然るに 其 妓(き)に交るときは必湿毒を伝染(でんせん)するものなものなり故に妓 をもてあそぶ事は慎(つゝしむ)べき事にて中人以下の湿毒 の症を見るに多(おゝ)くは妓より伝(つた)はるもの多し其初めは 必癬疥を発し或は下疳 便毒(へんどく)ともなる又一 説(せつ)に湿毒 の皇国へわたりしは豊臣氏 朝鮮征伐(てうせんせいばつ)の時北地ふかく 攻(せめ)入りしに其地 厳寒(げんかん)に堪(た)へさるによつて地を堀(ほ)り穴 に居たりしにより士卒(しそつ)寒を膚(はたへ)にうけて湿毒を発