翻刻
【右丁】
歴上る《割書:此時輝元安芸周防長門備後隠岐|出雲石見等を領し百二十万五千石と云》筑紫の陣を始とし
朝鮮七年の軍に至てあるひはみつからうちむかひ
あるひは軍勢をさしむけ城守らせ軍させ度々の戦功
すくなからす慶長三年の頃太閤薨し給ひし時御跡
の事たのみ思ひ給ふよし輝元に仰おかれ同き四年
の春大坂の奉行等利家秀家輝元等をはしめ宗徒の
大名すゝめて徳川殿うしなはんとせしかとも事ならすして
石田三成職をさつておのか所領に引こもる明れは五年
の二月輝元おのか舘に徳川殿を請し参らせ両家
兄弟のよしみを存すへきよし起請文を書て献る毛利
【左丁】
の家に伝りたる千鳥荒波といふ二ツの刀あり千鳥をは
太閤へ参らせて荒波斗そ残たり此荒波を徳川殿に
奉りやかて本国に下向すことしの夏徳川殿奥の上杉
退治のため御発向ありしかは輝元吉川安国寺を大将と
し軍勢をさし下すかゝる所に安国寺の恵瓊石田
三成にかたらはれ輝元をとかく勧て上方の大将軍と
なしたてゝ大坂の城にむかへいれ徳川殿うしなふへしとそ
議したりける輝元か養子秀元を大将とし吉川安国寺に
多勢つけて海道を攻下り伊勢にうち入る東国の先陣
馳上つて美濃国岐阜の城を攻落し大柿の城にうち