伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 12

ページ: 12

翻刻

【右丁】 向ひ赤坂の宿に陣をとる毛利か軍勢此よしを聞て これも同く美濃国にむかひ南宮の山に陣とつたり 徳川殿程なくのほり給ひ軍既に明日にきはまる 吉川駿河守廣家忽に心かはりしひそかに徳川殿の御陣 に人質を参らせ毛利家ほろほされさらんには廣家御方 に参るへきよしを申す徳川殿此よし聞召まつ人質を はかへされたりかくて関か原の合戦上方の軍悉に破れ 安国寺か勢一支もなくにけちり吉川又徳川殿の御陣 に参り秀元今は戦ふに及はす大坂へ引かへす東国の 軍勢続けて攻上ると聞へしかは輝元大におとろき 【左丁】 大坂の城をさり木津の別業にのかれて入道し降人に 成てそ参りける徳川殿累代の家一時にほろひんも 不便の事也とて周防長門を給て其余の国々悉く 没収せらる此後輝元入道宗瑞家の事をは秀元に 譲り我身は長門国萩の城に住し秀元は同く国府にそ 住しける初輝元か男子なかりし時叔父穂田備中守元清 か【右に「か」】嫡子秀元を子とし後二人の男子をまうく兄は秀就 弟就隆と名つく秀就童名は松寿丸そのゝち藤七郎 とあらため慶長四年に叙爵して長門守に任す 同き五年十月十一日侍従になされ十三年六月大御所の