翻刻
【右丁】
向ひ赤坂の宿に陣をとる毛利か軍勢此よしを聞て
これも同く美濃国にむかひ南宮の山に陣とつたり
徳川殿程なくのほり給ひ軍既に明日にきはまる
吉川駿河守廣家忽に心かはりしひそかに徳川殿の御陣
に人質を参らせ毛利家ほろほされさらんには廣家御方
に参るへきよしを申す徳川殿此よし聞召まつ人質を
はかへされたりかくて関か原の合戦上方の軍悉に破れ
安国寺か勢一支もなくにけちり吉川又徳川殿の御陣
に参り秀元今は戦ふに及はす大坂へ引かへす東国の
軍勢続けて攻上ると聞へしかは輝元大におとろき
【左丁】
大坂の城をさり木津の別業にのかれて入道し降人に
成てそ参りける徳川殿累代の家一時にほろひんも
不便の事也とて周防長門を給て其余の国々悉く
没収せらる此後輝元入道宗瑞家の事をは秀元に
譲り我身は長門国萩の城に住し秀元は同く国府にそ
住しける初輝元か男子なかりし時叔父穂田備中守元清
か【右に「か」】嫡子秀元を子とし後二人の男子をまうく兄は秀就
弟就隆と名つく秀就童名は松寿丸そのゝち藤七郎
とあらため慶長四年に叙爵して長門守に任す
同き五年十月十一日侍従になされ十三年六月大御所の