伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 13

ページ: 13

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【右丁】 御孫女三河守殿の御娘秀就の家に入たまふ大坂の軍 起し時秀元秀就ともに関東より馳向ひ東西和睦 ありて後二人同く本国に帰りふたゝひ軍起りしに 秀元すみやかに馳参て軍す秀就は海路心に任せす して軍散して後に参る寛永二年四月廿七日輝元 入道宗瑞年七十三歳にて卒す同き三年八月十九日 秀就少将に任す八年十月五日参議秀元秀就に家 をゆつる秀就国務を行ふ事凡廿一年五十七歳にして 慶安四年正月五日に卒《割書:秀就に御家号給ひし|事いつれの時かしらす》子息大膳大夫 綱廣承応二年十二月十一日元服し御諱字を給はり 【左丁】 従四位下に叙し侍従に任す《割書:御刀を給|といふ》 参議兼甲斐守大江秀元は元就の第五男穂田備中守 元清か男《割書:元清は備中国中山の城にあり|秀元は元清第二の男ともいふ也》はしめ元就卒して 嫡孫輝元家をつき天正十二年元春隆景備中の国に いたり秀元かいまた宮松丸と申て年わつか五歳なるを 見て《割書:武家補任の秀元か卒年をもつてさかしまになすに|此とき六才成へきにやされはこれはかの伝記の説なり》 隆景このおさなき人の父元就に似たまひし事のあや しさよいかさまたゝ人にはおはすへからす輝元いまた よつきなし毛利の家つくへき人此人にや侍らんといひ けれは舎兄元春我もさこそは存すれとて兄弟ともに