翻刻
【右丁】
あひともに安芸の国へともなひ輝元の見参に入輝元
大に悦ひ頓て養ふて子とす秀吉世をしろしめして
のち輝元の人質として大坂に参らる関白殿もこの
おさなきものよのつねの人にあらすとて事にふれて
ほめさせたまふ事多かりき文禄元年の秋大聴【大庁】の御
違例名古屋の御陣にきこゆ大閤大に驚かせたまひ
いそき御舟にめされ大坂に趣給ひしに豊前国大浦
の沖にして御舩いはほにはせかゝりて忽にくたく宮松丸
も安芸国廣嶋にて御待もふけすへしとてこれも
名古屋をたつておなしくのほるほとに此よしを見
【左丁】
奉りておのか舩をはせて追つき難なく大閤をたすけ
奉る殿下ふかく感し思召大坂に伴ひたまひやかて
都にのほせて正四位下に叙し侍従に任し家号并に
諱字賜て秀元とめさる明れは二年三月秀元を名古
屋にめしていそき朝鮮にわたりて晋州の城を攻やふる
へきよしを仰下さる秀元一方の大将を承りかの国に
向ひ六月廿九日晋州の城を攻落しうつとる者一万
余名古屋の御陣へ献すまた釜山浦の戦に勲功をあら
はす此勧賞に参議正三位になさる《割書:これは毛利家伝記の|説也此後大閤より》
《割書:給ひし御教書にも宰相と見へたり公卿補任を按するに秀元参議|従四位下たる事は慶長九年にみへたれは徳川殿天下しろしめす後の》