翻刻
【右丁】
《割書:忠久それをほろほしてこゝにうつれりと云已上島津家譜にいつ〇|島津系図ならひに新編纂図をあはせみるに右大将頼朝の子》
《割書:七男ありその中に比企判官能員か妹丹後の局かはらに二人あり|兄は島津宗兵衛尉忠久弟は若狭兵衛尉忠季これは承久三年》
《割書:宇治川の合戦にうち死す系図にいはく忠久治承三年に生れて|年十八才の時建久七年七月朔日さつまの国に下向して薩摩》
《割書:大隅日向等の守護となる嘉禄二年三月廿一日六十才にて卒忠久|畠山重忠の娘にそひて男子三人をまうくと云按するに治承三》
《割書:年に生れて六十才にして嘉禄二年に卒すといふは伝写のあや|まれるなるへしかくのことくならは四十八才にて卒せる也六十才には》
《割書:あらす又東鑑には安貞元年六月十八日辰刻島津豊後守従五位下|惟宗朝臣忠久卒すとあり嘉禄は二年にて安貞と改名をしかは》
《割書:忠久か卒せし年系図とは一年のたかひありて月と日とは共に異也|又東鑑のしるす所を見るに島津に惟宗姓也源氏にはあらすその》
《割書:家の系図にも新編纂図にも宗兵衛尉とのせたれは惟宗性た|る事分明也いつれのほとより源氏とはなのれるにや又其系図の》
《割書:つたふることく頼朝の御子ならは源氏たる事勿論也いかなるゆへにか|惟宗姓とはなのりしや覚束なき事共也又東鑑建仁三年の記》
《割書:に九月二日比企判官能員かうたれし時同き四日島津左衛門尉忠久|大隅薩摩日向等の守護職を収公せらる能員か縁座故也》
【左丁】
《割書:と云々しかれは此時にかの国々の守護職をはとゝめられぬ又安貞|元年の記に豊後守にしるしたれはのちには豊後の守護となれると》
《割書:見へし系図を按するに忠久か嫡男三郎兵衛尉忠義大隅守となれり|此時よりふたゝひ大隅の守護とはなれるなるへし〇世に伝ふる伝記に》
《割書:いはく比企判官能員か妹丹後の局懐妊の事あり二位殿やす|からぬ事に思ひ人におふせて由比の浜にて海にしつめんとせらる此》
《割書:仰承りし人いたはしく思ひとかくはからふておとす摂津の国|渡辺のほとりにいたりて住吉にもうてゝ四社明神に胎内の御子安産》
《割書:の事をいのり申さるかゝるところに産の気しきりに催けれはちから|なくみつかきのかたはらなる石にこしうちかけてたいらかに男子を》
《割書:うめりはる〳〵しくつき随ふ人もなきにあまたの狐あつまりて|擁護す彼こしかけし石今も島津石と名つけて住吉のほとり》
《割書:にありそのゝち丹後の局かまくらにめし返され八王寺民部大輔に給ふ|若君をは畠山の庄司重忠にあつけらる重忠子として十三才の》
《割書:時にえほしきせ忠久と名のらせ聟となす大隅薩摩両国を|給る島津又三郎忠久といふと云々此説おほつかなき事共ありまつ》
《割書:系図によれは忠久治承三年にうまる此時右大将家のいまた伊豆国|の配所にましませし折なれは丹後局を由比の浜へしつめんとせられしと》
《割書:いふ事あやまれる也丹後の局めしかへされて八王子か妻とせられしと云事|いかゝあるへき此後又此局の腹に頼朝の御子若狭守忠季をまうけたる畠山か》