伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 21

ページ: 21

翻刻

【右丁】 《割書:えほしさせて聟にせし事は勿論也子とせしといふは覚束なし子と|したらんにはなと畠山とは名のらさらん又薩摩大隅を給て島津と名》 《割書:のるといふもうきたる説なり両国給りたれはとていはれなくしていかて|島津とは名のるへき世のつたふる所まことゝしかたきに似たり〇又忠久は》 《割書:近衛摂政基通公の御子たりといふ説あり系図家譜等にも見へすいか|なるよりところにや覚束なし昔の事はしらす近比島津か彼御門下》 《割書:にしたしく伺公する事はいはれありと見へき世のつたふる所をもつて|公卿補任等をあはせ按するに近衛の関白前久公永禄十一年忽ち》 《割書:武命にたかはせ給ふ事ありて御出奔此年十二月十六日関白をとゝめ|られ給ひ忍ひて丹州に御理ある事凡十五年天正三年六月廿八日に》 《割書:御帰依同年九月廿日又薩摩国に御下向あり世には流されさせ玉ひ|しとも申也島津か■しに御座ありし事三年天正五年二月廿六日》 《割書:御帰洛閏七月二日はしめて御出仕あり此年月の御よしみによつて|慶長五年の秋関か原の戦に島津うちまけて本国に帰りし時》 《割書:かれか従類を御所のうちにふかくかくしおかせ給ひし也島津又此事|をかたしけなき事に思ひ此のち御家礼のよしみ代〳〵ふかしと云々》 忠久より九代陸奥守忠国にいたる其上男右馬頭友久は 兄なれとも家をつかす二男陸奥守立久家をつく立久 【左丁】 か子陸奥守忠昌忠昌男子三人あり嫡男忠治二男忠隆 三男勝久といふ三人の兄弟家をつたへて皆守護の職を つかさとる勝久か代にあたつて右馬頭友久か曽孫陸奥守 貴久童名虎寿丸といひし時勝久と不快の事おこり 勝久つゐに貴久かために国を出されて豊後国におち ゆく貴久やかて両国の守護となるその嫡男修理大夫 義久二男兵庫頭義弘三男左衛門尉歳久四男中務大夫 家久とそ申ける嫡男義久家をつき大隅日向を始と して筑前筑後肥前肥後豊前国に至るまて悉 くにうち随へ大友左衛門督義鎮入道宗麟を滅し