翻刻
【右丁】
て豊後国をもあはせんとすそのゝち関白天下しろしめし
初め前の日向国の守護伊東三位入道の弟民部大夫
祐兵殿下に給仕して東国安堵の事を望み申けれは
関白かねて九州征伐の事を思しめしより給ひし所に
天正十四年正月大友又上洛して島津御退治あらんには
先陣を給るへきよしを望む義久又鎌田刑部左衛門尉
を使として年比うちしたかふる所八ヶ国の守護職相
違なからんにはいそき上洛して殿下に伺候すへきよし
を申す関白殿聞召て大隅薩摩は本領なれは相違は
あるへからす又日向肥後筑後おの〳〵半国を給るへし
【左丁】
日向の地半国は伊東か本領なれはかれに給ふ豊前国に
筑後肥後の半をは大友にかへし肥前国をは毛利か
家に附て筑前の国をは御領のために献すへき所也と
仰下さる義久大にいかつて此国々はこと〳〵く義久か年
ころ多くの軍してうちしたかへし所也およそ地を
あらそひ兵を戦はしむる事めつらしからすいかて秀吉
の下知としてゆへなくかれらにさけ渡すへきとて
まてに軍勢を催して豊後国にせめ入らんとす此年
の冬関白の御使として仙石権兵衛尉秀久長曽我部
土佐守元親鎮西に下向し義久か横領せし国々を