翻刻
【右丁】
請とらんとす又黒田勘解由孝高山陽道に下向して
毛利吉川小早川等か軍勢を催促すこれは嶋津もし
殿下の御使に対揮せはまつ鎮西にをしわたつて彼横領
せし国々せめとらるへき為とそ聞えける仙石豊後国
に着てまつ島津かもとに使たつて早くお下知に任
せ横領せし国々をさけ渡すへきよし催促す義久
いよ〳〵いかつて其使をからめとつて禁獄す舎弟の
中務大夫家久を大将とし其勢二万を引わけて豊後
国に攻入る十二月十三日仙石長曽我部大友か勢を引
具し家久と戦ひ手合の合戦にうちまけて長曽我部
【左丁】
か嫡子弥三郎信親うち死し大友府内の城をさつて
高崎の城に落ゆく家久つゝきて府内の地に乱れ
入大友高崎にもこらへかねて龍王の城へ落さりぬ
兵庫頭義弘肥後の国を経て発向し大友か城々
こと〳〵くに攻落す毛利右馬頭輝元此よしを聞て
山陰山陽の軍勢をしたかへ豊前国におしわたつて
島津か勢と戦ふ関白仙石長曽我部まけ軍し
つと聞召みつから畿内畿外南海北陸等の軍勢をひ
きゐ給ひ明れは十五年の春都をたつて先陣既に長門
国赤間か関につくと聞へしかは義久か軍勢豊後の国を