伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 25

ページ: 25

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【右丁】 関白薩摩国を立て都に趣き給ひける同き六月十五日 義久鹿児島を去て博多の御陣に参り関白の御供して 大坂にそ参りける十六年の冬肥後国の国人等当国の 守護佐々陸奥守成政に叛て軍起る兵庫頭義弘関白 の仰を承て軍勢をして馳向ふ明れは十七年二月国人等 御下知にしたかつて軍をとゝむ義弘やかて本国に引かへす ほとなく福島左衛門大夫正則浅野弾正少弼長政加藤主 計頭清正肥後の国より下りて国人等こと〳〵く誅せらる 宇土修理亮顕孝か舎弟顕輝また宇土の城に楯籠る 小西摂津守兵を引おし寄て攻けれは顕輝こらへす城を 【左丁】 落て薩摩国出水といふ所に忍ひ居たり義久入道龍伯 殿下の仰を承て軍勢をさしむく顕輝か家子郎等散々に 戦て寄手の兵多く討れしかとつゐに顕輝をはうつてけり 其後義久入道龍伯三位法印になされ義弘四位の侍従 になる義弘また入道して惟新と号し子息忠恒また 侍従兼陸奥守になさる《割書:秀吉後に摂州能瀬郡五千石同国茅|野村千八百石播州堅島庄三千二百石》 《割書:すへて一万石を|給ひしといふ》文禄元年朝鮮の軍起る義弘一万人を卒 して彼国におし渡り前後の軍およそ七年中にも慶 長二年十月朔日泗川の城に大明の多勢をうちやふり 異国本朝に名を顕す《割書:異朝の書に義弘又石蔓子と|しるせるは此兵庫入道か事也》されは此時