翻刻
【右丁】
大閤薨したまひ輪が吾朝の軍勢難なく引て帰らん事
いかにもかなふへからすと皆人あやふみ思ひしに義弘
一戦の功によつて軍全ふして事終る徳川殿豊臣家の
奉行と議せられ其軍功の賞として慶長四年正月九日
義弘所領の地を加給ひ《割書:薩摩の内豊臣家御領の|地四万石をたまふと云》忠恒四位の
少将になさる爰に島津の家人伊集院右衛門大夫入道幸侃
といひしはさりし天正十九年主の島津か既に滅ふへかりし
此幸侃関白の御陣に参つて歎き申せしによつて義久
兄弟か罪ゆるされ本領を安堵すされは関白殿もかれか
忠を感し給ひ大隅に一郡の地をわかち給かゝる奉公の
【左丁】
とのなれといかなる故かありけん慶長四年三月九日陸奥守
忠恒伏見の舘にしてこれを誅す幸侃か郎等等既に
軍せんとひしめく徳川殿忠恒かもとに御使あつて御加勢
給るへきよしを仰下さる家人とは申せとも大閤の所領
給たるものを恣にうつて都のさはき仕出しけれは忠恒
其咎をはゝかりて高雄のふもとに蟄居す徳川殿
豊臣家の奉行等に仰らるゝ旨ありて忠恒其咎をま
ぬかる徳川殿頓て数十騎の兵して忠恒を伏見の家に迎
入玉ひ忠恒本国に帰事を得たり幸侃か子孫次郎【源次郎ヵ】父か
うたれしを聞て日向国庄内の城にたてこもり要害あまた