伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・上) - 翻刻

藩翰譜(八・上) - ページ 26

ページ: 26

翻刻

【右丁】 大閤薨したまひ輪が吾朝の軍勢難なく引て帰らん事 いかにもかなふへからすと皆人あやふみ思ひしに義弘 一戦の功によつて軍全ふして事終る徳川殿豊臣家の 奉行と議せられ其軍功の賞として慶長四年正月九日 義弘所領の地を加給ひ《割書:薩摩の内豊臣家御領の|地四万石をたまふと云》忠恒四位の 少将になさる爰に島津の家人伊集院右衛門大夫入道幸侃 といひしはさりし天正十九年主の島津か既に滅ふへかりし 此幸侃関白の御陣に参つて歎き申せしによつて義久 兄弟か罪ゆるされ本領を安堵すされは関白殿もかれか 忠を感し給ひ大隅に一郡の地をわかち給かゝる奉公の 【左丁】 とのなれといかなる故かありけん慶長四年三月九日陸奥守 忠恒伏見の舘にしてこれを誅す幸侃か郎等等既に 軍せんとひしめく徳川殿忠恒かもとに御使あつて御加勢 給るへきよしを仰下さる家人とは申せとも大閤の所領 給たるものを恣にうつて都のさはき仕出しけれは忠恒 其咎をはゝかりて高雄のふもとに蟄居す徳川殿 豊臣家の奉行等に仰らるゝ旨ありて忠恒其咎をま ぬかる徳川殿頓て数十騎の兵して忠恒を伏見の家に迎 入玉ひ忠恒本国に帰事を得たり幸侃か子孫次郎【源次郎ヵ】父か うたれしを聞て日向国庄内の城にたてこもり要害あまた