翻刻
【右丁】
《割書:小西摂津守|行長か城也》島津か軍勢小西たすけて又肥後国に向ひ
清正か佐敷の城をせむ清正宇土を攻おとし八千人
をひきゐて先陣し黒田入道三千人にて後陣をうち
肥後薩摩の境なる津名木水俣に陣取て義久
と戦んとすかゝる所に関か原の軍やふれぬと聞て
島津か軍勢佐敷の城より引かへす龍伯あへて
加藤黒田にむかつて軍せす福島左衛門太夫正則に
つきてうつたへけるは義久はしめより徳川殿に二心を
存せす舎弟兵庫入道か所行はなはたもつて奇怪
のいたり也義弘本国にのかれ帰るといへとも既に
【左丁】
対面をゆるさす桜島におしこめ訖ぬ御下知をうけ
てすみやかに厳科に処すへき所也と申すさらは
とてまつ加藤黒田か軍勢をはめしかへさるそのゝち
龍伯入道大坂にはせまいりてつみなきよし申ひら
かんとせし所に忽ちに病にふしぬとて家人鎌田
出雲をもつて愁訴をのふ同き七年の四月十一日
本領安堵の御教書を龍伯入道にたふおほひによろ
こひやまひなを平ならされとも猶子の忠恒うちつれ
て薩摩国を出んとす伊集院また謀反せしかは彼退
治の為に来る事をはたさす此とし十二月廿八日